8月3・4・5日の3日間
沼田祇園祭(おぎょん)の由来と沼田まつりの歴史



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沼田祇園祭(おぎょん)の由来
 全国の祇園祭の例にみられるように、京都の八坂神社祇園祭に発している。
 牛頭(ごず)天皇を祀る須賀神社の祭典が沼田祇園祭(おぎょん)の源流で、昔は本町と称する上之町、中町、下之町の3か町の氏子が中心となり、祭りを実施した。天保の時代(約150年前)からは、時の城主・土岐氏の命により榛名神社もこれに加わり、全町の祭典として、神輿(みこし)、「まんどう」と呼ばれる山車(だし)の城内渡御が行われるようになったが、明治以降は城内を渡御することなく、各町を回るだけとなった。
 戦前は、須賀神社(天王様)・榛名神社(榛名様)の神輿が並んで練り歩き、最終の5日には、各氏子の「まんどう」が勢揃いして、須賀神社の境内で神輿の帰りを待ち6日朝までお囃子が続いた。
 また、沼田祇園祭(おぎょん)は、

 蚕(かいこ)すんだら沼田のまつり つれていくから辛抱おしよ

と唄われ、町の人ばかりでなく、近在農家の夏仕事も一段落した時期で、広く利根一円の生活歴のひとつとして、つらく厳しい農作業もこのまつりがあるゆえに慰められていたことがはかり知れる。
 「おぎょん」と呼ばれた沼田祇園祭は、大正の頃から8月3・4・5日となり、現在のような山車が出始めたのは、明治10年代からであるとされている。この山車のことを「まんどう」と呼ぶのも独特である。かつては「付け祭」と言われ、須賀神社・榛名神社の渡御に奉仕した。


沼田まつりの歴史
 戦後は、四世紀にわたる歴史と各町の趣向による付け祭が一体となり「関東名物の荒祭」と関東一を誇った「祇園祭」と、10月に開催していた「商工祭」(昭和36年「沼田まつり産業祭」とした。)の二大イベントを昭和45年に一つにし、市民総参加の「沼田まつり祇園祭(通称 沼田まつり)とした。
 交通事情などの問題から、昭和49(1974)年よりお祭り広場(歩行者天国)を設け、その中で祭を行うようになった。
 「沼田まつり」は200軒を超える露店が出店し、例年8月3・4・5日に行われ、利根沼田地方の夏祭りは「沼田まつり」で終止符を打ち、この日を境にして農家は農繁期に入る。


沼田まつりのハイライト
 勇壮・豪快な神輿渡御と優美華麗な山車曳行。さらには神輿の還御を待って繰り広げられる5日夜の各町「まんどう」の祭り囃子の競演です。


神社みこし(3・5日)
 伝統ある須賀神社・榛名神社のみこしの渡御は勇壮で、特に最終日の夜の渡御において歩行者天国は人の波と熱気につつまれ、まつりは最高潮となる。
 また、今年は真田町割り400年記念の年のため、8月5日(日)の須賀神社境内宮入は奉賛会、奉仕団のみで行い一般開放はいたしません。

※みこしの重さ・・・神物なので重さをはかれずはっきりしたことは定かではないが、一般に250〜300貫(700kg〜1t)程度と言われている。


須賀神社
 慶長17(1612)年に真田信之が城を改築するにあたり、現在地に移築し、明治元(1868)年に須賀神社と改め、氏子は6か町で明治16(1883)年に村社、同21年には北白川宮殿下の参拝、幣帛料を奉納され、さらに昭和3(1928)年には郷社に列せられた。
 祭典は、毎年8月3〜5日、いわゆる祇園祭として大祭を行い、旧暦7月25日に秋祭をおこなう。


榛名神社
 創祀の年代はあきらかでないが、天文元(1542)年、沼田顕泰が沼田城築城にあたり現在地に移築したのが草創とされている。明治6(1873)年郷社になり、昭和3(1928)年に県社に列せられた。戦後はこの社格は廃止されたが、今も沼田の産土神(うぶすながみ)として多くの市民の尊崇を集めている。氏子は12か町。


天狗みこし(3・5日)
 現在沼田まつりに登場している天狗みこしは2基。1基は昭和58(1983)年沼田青年会議所により諸願成就として迦葉山へ奉納され、その年より参加渡御されている。交通安全・家内安全・商売繁盛・諸願成就を祈願し、天狗面をみこしに仕立て、家庭を守る女性達が家族の安全を願い、渡御する(右)。
もう1基は平成11(1999)年沼田商工会議所青年部により作成された「観光大天狗面」(顔の丈:4.3m、幅:2.3m、鼻の高さ:2.9m)で観光PRを目的に上之町『街なか天狗プラザ』に納められているものである(下)。
 古くは昭和34(1959)年11月に天狗おどりが登場している。木彫り日本一の大天狗面も過去に産業展示会にも登場した歴史があるが、現在は沼田公園天狗堂に鎮座している。
 天狗みこしは、約200人の若い女性により担がれ、平成2(1990)年からは、沼田商工会議所青年部作製の先導車がが加わった。
 数々の歴史の中、昭和58〜63(1983〜1988)年までの「大銀座まつり」、平成元(1989)年に大阪の「御堂筋パレード」、姉妹都市静岡県下田市の「黒船祭」に参加し、広く沼田をPRしている。
天狗みこし担ぎ手募集について


町みこし(3・5日)
 
10か町7団体から17台が参加し、それぞれ威勢の良い若者に担がれる。
・出世みこし ・柳町みこし ・高橋場町みこし ・大聖みこし ・桜町みこし
・薄根町みこし ・沼田姫纏 ・上原町みこし ・東倉内みこし ・東原は組みこし
・恩田町みこし ・弐石會みこし ・凰燕会みこし ・不雲睦会みこし ・下川田町みこし
・馬喰町みこし 朋祥會みこし 白沢町みこし

子供みこし(3・4・5日)
14か町から15基が参加し、歩行者天国を元気よく担ぎ歩く。また、子供みこし行列も実施される。
 
・東倉内町 ・柳町(2基) ・高橋場町
・桜町 ・材木町 ・上原町
・東原新町 ・西原新町 ・榛名町
・清水町 ・薄根町 ・戸鹿野町
・硯田町 ・井土上町下


まんどう(3・4・5日)
人形を飾り、お囃子をつけて曳行するあの仕掛けは、実は「まんどう」ではなく、「山車(花車)」又は、「屋台」といわれている。関西ではこの種の物を「山」、「だんじり」、「山ぼこ」、と称している。総体的に、祭礼の際練り歩くかざり車を「ねりもの」という名で表しているが、沼田では古くから「まんどう」という名で親しまれている。
本来まんどうは、氏神の御霊(みたま)に奉納する意味のもとに作られたものであり、かつて神事先行の祭り時代は、各町の「まんどう」は神輿の先導をつとめて巡行したのである。沼田の「まんどう」は、ある時期において突如従来の「まんどう形式」から「山車形式」に移転したものと考えられる。
 現在10か町から10台の山車が祭りに華を添えている。

東倉内町(ひ組) 西倉内町(西組) 高橋場町(た組) 材木町(さ組) 西原新町(は組)
上之町(か組) 中町(な組) 坊新田町(ほ組) 下之町(に組) 鍛冶町(い組)


千人おどり(3日)
 文献によると、昭和34(1959)年頃から、町内婦人会商工業者婦人が輪おどりとして沼田小学校校庭や沼田公園で「沼田音頭」、「沼田天狗ばやし」を発表していた。昭和47(1972)年頃から沼田まつりに参加。昭和63(1988)年から「流しおどり」として、歩行者天国で披露して、参観者も奮起している。
 浴衣姿でなくとも誰でも自由に参加できる。また、平成7年度に音車を新調したことでより華やかになった。

沼田音頭 沼田天狗ばやし
 作詞 西沢  爽
 作曲 米山 正夫
 歌手 島倉 千代子
 作詞 西条 八十
 作曲 小関  裕
 歌手 村田 英雄

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沼田祇園囃子保存会 祭吉連